余命
肺がんの父が、緩和ケア病棟のある病院に転院した。先々週、通院の定期検査中に心不全を起こしていることが発覚して、緊急入院。そこから、処置をして、予定していた最後の箱根1泊2日旅行にも無理やりに行かせてもらい、いよいよ、となった。
いつもの入院とあまり変わらないような感覚で入院したが、初めて訪れたその病棟は広くて清潔、少し静かだった。広い窓のあるラウンジからは、大山連峰が青々と見える。その横には家族向けの和室とミニキッチンがあり、病室にもソファーベッドが備え付けられてあった。
食事制限もなく、電子レンジが使え、こんな環境なら、自宅にいるよりも安心、と、喜んでいたところに担当医がやってきて、病状の説明を受けた。
肺の状態は相当良くない。肺と心臓はセットで、どちらかが悪くなると、もう片方も悪くなる。小学生の孫の面会はNG、1階の売店にも行かないように。インフルエンザもコロナも命取りになるという。父は、外出して孫と食事するのを楽しみにしていたのだ。それどころか、お風呂も肺と心臓に負担がかかるので、週に1~2回程度、しかも半身浴程度しかできないという。
帰り際に再度、担当医から引き留められた。本人には聞かせられない話だ。
肺がんの末期は、急に悪くなることが多いこと、もうあと1、2か月くらいと思われること、夏までは持たないであろうこと、元気に見えても、そうではないこと。
経験値の豊富な医師からの説明だけに、説得力があり、聞いているうちに身体が固まっていくのがわかった。・・・なんでこんな重たい話を私はたった独りで聞かされているのだろうか。
看護士からも、お葬式の会社を決めておいたほうがいいこと、病院を出ていくときに着せたい服を用意しておいた方がいいことなど、などの話があって、それはなんだか、現実味のない話に思えていたが、そうだ、ここは長くはいられない場所なんだ・・・とふと思った。
父がここに入る前、事前に申し込みに来た時も、確かに、看護士が「ここは看取るところです。そういう仕事をしたい、というスタッフばかりなので、安心してください」と言われたっけ・・・。
この3年、5回の抗がん剤を受け、闘病しながら母の介護をし、「俺はもう死ぬんだから!」と時々うそぶいていた父だけれども、今回の説明にはさすがにショックを受けていたようだった。一方、私は、病院の手続きや前の病院の支払い、父の諸々の手続き、買い出し、行政相談、そして仕事に奔走して、それをゆっくり受け止める時間もない。
母の介護の件で相談している、元看護士と元介護士だとういう老人福祉課の人たちにまで、「お父さんとなるべくたくさん一緒に過ごしてください」と言われて、あぁそうなんだ、と思った。こんな話、受け止めきれる自信は皆無だ。
父は最後の桜を見ただろうか。