母の81歳の誕生日
いろいろあって、父の死後、母は施設に入った。あまりに不便なところにあるので、なかなか頻繁に会いに行けないが、その生活にようやく慣れてきたようだ。慣れてきたのはいいけれど、その分、家族のことを忘れてしまっていくことが歯がゆい。
今日は、母の誕生日だったので、ケーキを持って、駅から長い道のりを歩いた。少し遅い桜や菜の花、真っ赤なつつじなどが咲いている、のどかな道のりだった。
何度か会いに行っているのに、今回は初めて、警戒されてしまった。
まるで、知らない人に会ったかのように、施設の人の影に隠れそうになっている。
私が慌てて自分の名を告げると、反応して、隠れるのを止めた。
聞き覚えがあると思ったようだ。
私はマスクを外し、娘であることを伝え、それでも私が誰だかは明確になっていなかったが、
「今日はお母さんのお誕生日だから、ケーキを買ってきたよ」
と伝えると、
「え?いいの?」
と警戒心はなくなっている。
昔はモンブランが好きだった母だが、今はイチゴの赤さなどに惹かれるらしい。ショートケーキを食べ始めると、「うん」「うん」「うん」とずーっと唸りながら食べている。
「美味しい?」
と尋ねると、
「すっごく美味しい!」
と笑顔がこぼれる。
そしえてまた、「うん」「うん」「うん」が続く。
初めて見る反応に、私はちょっと驚いて、こんな食べ方をしていたことないなぁ。普段、美味しいものを食べさせてもらっていないのではないかしら、と、失礼な疑問が浮かぶ。
そのくらいに夢中だ。
ケーキを食べ終わったころには、
「他の人はどうしているの?」
とか、家族の名前を伝えたら、わかると言ったり、だいぶ記憶をもどしたようだった。
面会時間を終え、施設の職員が母を連れて行こうとすると
「一人で帰るの?心配だわ」
と、まるで、私が実家から帰るときのようなことを言った。母はいつも、暗い道を帰って行く私のために、駅まで父に送らせていた。
その父ももういないし、ここは実家でもない。
でも、その懐かしい台詞を聞いて、あぁまだここに母はちゃんといる。
そんな風に思いつつ、のどかな田舎道を戻っていった。